「海のはじまり」最終回考察:ハッピーエンドのないドラマが教えてくれたこと

ドラマ
Mother and her daughter enjoying walk along beach at sunset. The woman is holding the child's hand.


こんにちは。tomokoです。

今夜、大きな話題を呼んでいたドラマ「海の始まり」がついに最終回を迎えます。
目黒蓮主演のこの作品は、『silent』と同じ脚本家が手掛け、家族愛をテーマにしています。

このドラマのタイトルと、目黒蓮演じる主人公の娘の名前「海」には、
深い意味が込められています。

砂浜を歩く母子の姿から物語は始まります。
主人公・月岡夏(目黒蓮)の大学時代の恋人・南雲水季(古川琴音)と
娘の海(泉谷星奈)。幼い海が母親に投げかける質問が印象的です。

「どこから海?」「終わりは別に?」

この純真な問いかけが、ドラマ全体のテーマを象徴しているように思われます。
人生の始まりと終わり、そして記憶の旅路。

物語の中心にいるのは、娘の存在を知られないまま父親になってしまった月岡夏。
彼が娘との新しい人生を選んだために別れた恋人・百瀬弥生(有村架純)との
最終回の展開
に、多くの視聴者がワクワクしていることでしょう。

今回は、ドラマを通して感じたことを綴っていきます。
また、リアルな演技で魅了する目黒蓮、泉谷星奈、有村架純はもちろん、
驚くべき存在感で自らを表す古川琴音の魅力についても振り返ってみたいと思います。

月岡夏の苦悩:視聴者の批判と私の共感

ドラマの展開とともに、視聴者の間で月岡夏に対するイライラが増していったように感じました。
多くの人が、彼をはっきりしない人物だと評し、中途半端な結論しか出さず、
恋人の百瀬弥生の気持ちに寄り添っていないと批判していました。

しかし、私はそうは思いませんでした。

月岡夏の姿に、むしろ頑張っている男性の姿を見出したのです。
大竹しのぶ演じる水季の母親から厳しい言葉を投げかけられ、
水季が生前勤めていた図書館の同僚からも責められる。そんな状況で、
黙って聞くことしかできなかった月岡夏の姿に、私は彼の努力を感じたのです。

月岡夏の置かれた状況は、誰にとっても困難なものでした。
学生時代に付き合っていた恋人と別れて何年も経った後、その恋人の葬儀の場で
突然知らされた娘の存在。それを受け止めるしかなかった彼の心中は、
想像を絶するものだったでしょう。

確かに、このドラマは目黒蓮主演のヒューマンドラマだからこそ、
月岡夏は現在の恋人である百瀬弥生と別れて、娘を1人で育てることを選択しました。
しかし、現実の令和の時代に生きる若者が、同じ選択をできるでしょうか。
この点で、ドラマと現実の乖離を感じずにはいられません。

私にとって理解し難かったのは、むしろ月岡夏を責める周囲の人々の態度でした。
水季が妊娠を告げなかったこと、出産したこと、これらすべてが水季自身の
決断だったにもかかわらず、彼女の死後にそのことを父親に伝えることの残酷さを感じたのは、
私だけだったのでしょうか。

この複雑な状況下で、簡単に誰かを非難することはできません。
それぞれの立場に立って考え、理解を深めることが重要なのではないでしょうか。

隠れた主役:南雲水季と古川琴音の圧倒的存在感

本当の主役は、海の母親である南雲水季(古川琴音)だったのではないか。
このことに気づいたとき、私はドラマの本質を理解したように感じました。

このドラマを通じて、私の心に最も強く響いたのは古川琴音の演技でした。
彼女が演じる水季の姿は、言葉では表現しきれないほどの感動を与えてくれました。

特筆すべきは、ドラマの描写方法です。実際のガンによる闘病生活に
フォーカスするのではなく、娘を見つめる母の姿だけが描かれていました。
この演出方法は、一見すると綺麗事に感じる人も多いかもしれません。
しかし、私にとっては、それこそがこのドラマの真髄でした。

水季の娘への愛溢れる仕草、そして笑顔。それらはとても印象的で、
画面を通してさえ心に深く刻まれました。古川琴音は、言葉以上に多くのことを表現し、
母親の愛の深さと強さを見事に体現
していました。

この感動的な演技に触れ、私は古川琴音という女優について、もっと知りたいと思いました。

古川琴音のプロフィール

名前:古川琴音(ふるかわことね)

誕生日:1996年10月25日

出身:日本/神奈川

2018年、沖縄市のPR動画「チムドンドンゴザ」のオーディションで主役に選ばれ女優デビュー。
短編映画「春」(18)でスクリーンデビューし、TAMA NEW WAVEベスト女優賞を受賞。
堤幸彦監督の「十二人の死にたい子どもたち」(19)でメインキャストの一人に抜てきされ
注目を集め、NHK朝の連続テレビ小説「エール」(20)、映画「街の上で」、
TVドラマ「コントが始まる」(ともに21)などに出演。

ベルリン国際映画祭で銀熊賞に輝いた濱口竜介監督の短編オムニバス「偶然と想像」(21)では、
3編のうちの一編で主演を務めた。そのほか「今夜、世界からこの恋が消えても」
「メタモルフォーゼの縁側」(ともに22)などに出演している。

古川琴音は、演技派として注目を集める素晴らしい女優です。
彼女が演じた役は、命の儚さと向き合いながら娘への愛を貫く女性でした。
この複雑な役柄を、古川さんは嫌味なく、美しい眼差しで表現しました。

自身の死を意識しつつ、娘に全てを遺そうとする母親の姿。
それを繊細かつ力強く演じる古川琴音の姿に、私は深く心を動かされました。
彼女の演技は、生きることの意味や愛の力を静かに問いかけているようでした。

この役を通じて、私は古川琴音という女優に大きな魅力を感じ、彼女のファンになりました。

多様な解釈を許すドラマの本質

このドラマには様々な評価があることでしょう。
月岡夏にがっかりした、有村架純が可哀想だ、など。
しかし、脚本家はそのような多様な反応を十分に想定した上でシナリオを書いたように思えます。

「海の始まり」は、ハッピーエンドの答えがないドラマと言えるかもしれません。
今はこの世にいない母親が、手紙という手段で娘の幸せを願うために書かれたシナリオ。
そこには明確な答えが書かれていないようです。

なぜなら、このドラマの設定は一般の人がほとんど経験したことのないものだからです。
月岡夏が、小学一年生の海が思春期を迎える頃、亡くなった母親・水季の選択と
自分の置かれた状況をどう理解し、大人の女性に成長していくのか。
それは誰にも予想できません。

だからこそ、これは幸せなハッピーエンドのないドラマだと感じます。
しかし同時に、不幸な絶望感を感じさせるドラマでもありません。

まとめ

このドラマが視聴者に伝えたこと。それは、自分の命が短いことを知った母が考えること、
できること、そしてそれを取り巻く人たちがそれぞれの立場で愛を示していく姿
でした。

「海の始まり」というタイトルは、海ちゃんの命が水季の身体に宿ったことから始まった
一人の女性の生き様を、ひとつの生き方のテーマとして私たちに提示したように思います。

そして、それをどのように解釈し受け止めるかは見る側の自由である、という
メッセージが込められているようです。最終回のエンディングがどうなるかは分かりません。

しかし、この猛暑が続く秋の始まりの時期に、このドラマは私たちに一つの優しい風を
感じさせてくれました。

人生には明確な答えがないこと、そして愛する人のために私たちができることは何か
考えさせる、深い余韻を残すドラマとなりました。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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