こんにちは。tomokoです。
5日前、20年7ヶ月の長い人生を終えた愛猫『るう』が虹の橋を渡りました。
保護猫活動に携わる私にとって、飼い猫との別れは決して珍しいことではありません。
これまで多くの猫たちを見送ってきました。
しかし、今回の『るう』との別れは、これまでの経験とは全く異なるものでした。
このブログでは、『るう』との日々の思い出、ペットという存在から学んだこと、
後悔と自責の念、そして『るう』への追悼の想いを綴りたいと思います。
これらの経験を通して、私が感じ、考えたことをお伝えします。
愛猫『るう』との20年 – 猫嫌いから猫好きへの変遷
私はもともと猫が嫌いでした。
中学生の時、大切にしていた真っ白なじゅうしまつが野良猫に食べられて死んだ経験から、
猫という存在を否定し続けてきたのです。
20年前、次女がバイト先の先輩から、生まれたばかりの子猫2匹を
手のひらに乗せて帰ってきました。
「飼い主が見つかるまで預かることにした」と娘。
私は「猫は無理よ。預かるとしても直ぐに飼い主探しをしてね。長くは預かれないよ」
と答えました。
でも、あまりにも小さく可愛い2匹の姿に目を奪われてしまいました。
4匹生まれた中の2匹で、黒猫と茶色い猫1匹ずつ。
目がようやく見えてきた子猫たちに、私は子猫用の注射器でミルクをあげていました。
しかし、ウチに来て3日目に茶色い猫が注射器の先端のゴムを喉に詰まらせてしまいました。
猫を飼ったことのない私はなすすべもなく、すぐに動物緊急医療センターに運びましたが、
残念ながら亡くなってしまいました。
事の重大さに動転した私は、娘にもう1匹の茶色の猫を連れてくるようお願いしました。
そうして急遽ウチに来たのが『るう』でした。プライドの高い美猫でした。
母親が大好きで離れられなかった甘えん坊の『るう』は、突然母親から引き離されたことが
納得いかなかったのか、心を閉ざしました。
人が近づくのを嫌がり、ひたすら自分のオッパイを吸い続けていました。
幼いうちに母猫から離れると、そのような代償行為が見られるのだそうです。
あれだけ猫嫌いだった私が、どんどん猫贔屓になっていきました。
学生時代から犬を飼っていた私は大の犬好きで、飼い主を常に気にかけ、甘えて、
遊んでくれるのを待っている犬が愛おしくてたまりませんでした。
猫は気ままでわがまま、自分勝手で、呼んでも知らん顔をする可愛げのないペットという
イメージでしたが、『るう』との暮らしが、猫に対する私の価値観を大きく変えていったのです。
愛の科学:猫と犬、ホルモンで測る愛情の深さ
私は『るう』との生活を通じて猫に対する見方を大きく変えました。
しかし、猫と犬の愛情表現の違いについては、依然として多くの人が疑問を抱いています。
そこで、次の興味深い研究結果をご紹介したいと思います。
「猫と犬、どちらが飼い主を愛している?」
この問いは、猫派と犬派の間で尽きることのない議論の種です。
アメリカ・クレアモント大学院大学の神経科学者、ポールザック博士がこのテーマについて
研究を行いました。
結論から言うと、犬は猫の5倍、飼い主に愛情を感じているそうです。
しかし、事はそう単純ではありません。
実験の概要:
- 10匹の猫と10匹の犬を対象
- 飼い主と遊んでもらう前後に血液サンプルを採取
- オキシトシン(愛情ホルモン)のレベルを測定
ザック博士によると、オキシトシンは愛情を感じた時に分泌される神経伝達物質です。
人間の場合、楽しい体験をした時のオキシトシン分泌量は以下の通りです:
- 見知らぬ人との交流:15〜25%増加
- 知り合いとの交流:25〜50%増加
- 愛する人との交流:50%以上増加
実験結果:
- 犬:平均57.2%のオキシトシン増加
- 猫:平均12%のオキシトシン増加(ただし、半数の猫のみ反応)
しかし、この結果には注意が必要です。猫は犬に比べて社交性が低く、縄張り意識が強いため、
実験室という馴染みのない環境でストレスを感じやすかったのです。
ザック博士は、自宅で実験を行えば、猫のオキシトシン分泌量はもっと多くなる可能性があると
指摘しています。
結論として、猫と犬はDNAも含めて全く異なる生き物です。
単純に比較するべきではないのかもしれません。
愛猫『るう』との経験を通じて、私はこのことを改めて実感しました。
この研究結果は興味深いものの、『るう』との20年間の絆は、数値では測れない深さと豊かさを
持っていたのです。
『るう』との日々:寄り添う愛の形
『るう』が私に教えてくれたこと、それは形にならない愛の大切さでした。
言葉でもなく、派手な愛情表現でもなく、可愛らしい仕草でもない。
とてもシンプルな、私に対する「寄り添う愛」でした。
『るう』は他の保護猫たちと仲良くできず、常に孤独でした。
そんな『るう』が唯一心を開いたのが私でした。
気がつけば、いつも私のそばにいました。
ただただ、そばにいるだけで。
1年ほど前、『るう』の口内に癌細胞が見つかり、痩せていきました。
同じ頃、私の仕事が忙しくなり、『るう』のそばにいる時間が減りました。
すると、『るう』も私のそばに寄らなくなりました。
20歳を過ぎた頃から、『るう』の体力の衰えが顕著になっていました。
全てわかっていながら、私は『るう』の老いから目を背けていました。
受け入れることが怖かったのです。
最後の贈り物:永遠の絆
今年のお盆休み、『るう』の腫瘍が目に転移し、出血しました。
死を覚悟しなければならなくなり、やっと『るう』と向き合うことができました。
3日おきに動物病院に通い、痛み止めのモルヒネを使いながら、『るう』は頑張りました。
そして9月9日の夜、『るう』は眠るように虹の橋を渡りました。
私は仕事で地方にいましたが、娘からの電話で知らされた時、
『るう』の最後の愛を受け止めた気がしました。
『るう』は、私が直接その死を受け入れられないことを一番よく知っていたのでしょう。
出張から帰宅した私を待っていたのは、綺麗な骨壺に収められた『るう』でした。
冷たくなった『るう』に会わずに済んだのです。
今、『るう』は私の寝室の枕元にいます。私はいつも話しかけています。
私の中で、『るう』が死ぬことはこれからもありません。
ずっと一緒にいるのです。
『るう』が教えてくれたこと、それは姿が見えなくても、会えなくても、
傍にいられる、一緒にいられる愛があるということ。
それは私の永遠の宝物です。
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